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東日本大震災に伴い全国に避難されている方々のための地域情報サイト

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鳥取県智頭町の避難者支援の例から思うこと

鳥取県東部南端の智頭町には避難者としての登録をしていない家族が私知るところだけでも2家族いる。このうちの一家族は関東からの自主避難者であるが、パン製造等の店舗を町内に開業し、家族だけではなく複数人数を雇用して順調に商売を行っている。

この家族への智頭町の支援は所謂「避難者支援」ではなく、「移住者」または「起業者」への支援である。まずは開業にあたり閉園となった町立保育園の園舎・グランドの安価での貸与、開業にあたって必要な資金の補助、またお店のある集落の自治体などとの融合のための斡旋を行った。

故に、地元集落ではこの家族に対して「避難者」という認識はなく「移住者」として受け入れ、接していることを感じた。もた、この家族も「避難」を表には出さずにあくまで移住と起業を前面に出し生活している。

この形態は、避難者の一つの定住成功例として評価してもいいと思っている。このような形態の支援を見ていると、支援団体の在り方も、その避難者の状況・意欲・スキル等に応じて柔軟に且つ広範に支援を行っていく「力量」が求められているのではないだろうか?その辺りで、行政と連携を考えていくならば「支援策」も多岐に亙るものが用意されているし、行政も支援を行いやすいのではないかと考える。

そこで大切になってくるのが「避難者」の自立へ向けた直接的支援なのでないだろうか。生活に寄り添い、精神的にも寄り添ってきた支援はこれからも大切なものであろうと思うが、そのの支援にこの「自立力」を付けるための支援が加わってくれば少なからず「自立」し「定住」する避難者がいるのではないかと思っている。

福井正樹

語り継ごう in あきた

2011年3月11日、東日本大震災が発生したあの日から、すでに6年が経過しました。震災発生時は被災地の瓦礫撤去や支援物資を届けるために被災地を走り回り、夏には仮設住宅に花を植えに行き、冬には買い物支援バスツアーを企画、何かをせずにはいられない思いに駆られ、次々に支援活動とイベントを行ってきました。

2年目からは避難者の方々の様々な課題が見えてきて、ニーズに合った支援が必要なことに気付かされ、自主避難者の会の立ち上げ支援や就労支援のためのパソコン講座、高齢者のためのお出かけ送迎支援、大学生たちによる子どもの学習支援の手伝いなど、支援方法が変化してきました。

昨年あたりからは自立のための学習会や避難先での住宅探しなどに加えて空き家を利用できないかなどの相談も4、5件受けました。いずれ、様々な補助金や支援が終わることにあせり、悩み、苦しんでいる方々も少なくありません。

最近は相談内容も一人ひとりの事情によって複雑になってきていて、これで良いのだろうかと悩みながらの対応になっています。避難者の方たちに確かな情報を届けると共に、寄り添った支援も継続していくべきだと思っています。

時間の経過と共に変化してきた支援ですが、変わらずに続けてきたイベントが東日本大震災「語り継ごう in あきた」です。私たちが撮りためた被災地支援活動の資料展示と動画上映・震災への思いを込めた音楽会、交流会カフェなど学生やともに支援活動をしてきた団体と一緒に運営してきました。

これからも遊学舎を拠点に東日本大震災支援活動を続けていきます。忘れないで語り継ぐことが私たちの役目でしょう。

14時46分、黙祷を捧げ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

NPO法人あきたパートナーシップ
畠山順子

2016年度を振り返って…

2016年度も終わりに近づいてきました。いつもこの季節は、朝晩の寒さと共に、あの日のことを思い出します。東日本大震災から6年、当団体の活動をせっかくなので振り返ってみたいと思います。

  • 2011年3月11日 東日本大震災が発生し、甚大な被害をもたらす。
  • 2011年5月24日 愛媛県内で初めて東日本大震災避難者交流会が開催される。
  • 2012年5月24日 NPO法人えひめ311設立(避難当事者の支援団体としては、日本で一番初めにできたNPO法人らしい???)。会費や寄付などの自主財源で活動を始める。
  • 2013年 福島県からの補助金をいただき、相談業務を本格化させ、交流会を各地で行い、様々な避難者の方たちと出会う。
  • 2014年 赤い羽根協同募金×タケダ薬品工業株式会社の助成金で四国内避難者へ向けた活動が始まる。おせったい訪問というネーミングで個別訪問を行う。
  • 2015年 法人としての事業基盤を強化し、四国内避難者支援連絡会を発足する。
  • 2016年 福島県の生活再建支援拠点事業を受託し、四国内のワンストップ相談窓口として活動する。

当団体を設立し5年が過ぎました。実際、こんなに長く続くと正直思わず、「勢い」と「目の前の方たちをなんとかしなきゃ」という気持ちで活動しながら駆け足で作り上げてきた感じです。特に今年度は、全部できることはやってきた感じです。でもこの何でもやってきたおかげで、当団体のスタイルがよーく見えてきたような気もしています。避難者数が少なく四国内に点在している避難者の方々のニーズは、「だれかに見守られている感」だと思います。季節ごとにふとした時に届くお手紙や、99パーセント避難者の都合に合わせた個別訪問などが代表的かなと思います。支援なんて立派なことはできませんが、避難者の方々のしんどさを理解し、いつまでも見守ることは当事者支援の強みでもあり、当団体の支援スタイルになってきたのではないかと思っております。こちらから先回りして「困ってないですか?大丈夫ですか?」という声かけも大事な時期がありましたが、今はその時期ではありません。避難者の支援への依存、支援者の支援への依存を生まない為にも、避難者の方々の元々持っている力を信じ、その力を奪わないようにすることが大事ではないかと思っています。私たち避難当事者からの目線で言うと、「困ってないですか?大丈夫ですか?」という言葉は言われ過ぎてもはや寒気がします。避難者=かわいそうでしんどい人たちというフィルターで見られることこそが、避難者を長期にわたり苦しめる偏見であり、避難者らしくあり続けないといけないような感覚に囚われます。この偏見は、避難者の力を奪いつつ、被害者意識を強化し、自己肯定感を低下させてしまいます。これは当事者である私たちが思うことです。今後も当事者目線を大事にしていきたいと思っています。来年度は、活動の大きさや事業規模などを意識せず、四国らしい、えひめ311らしい活動を細々と継続していきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

もう一つ、最近気づいたことは、「楽しさとお得感」に引き寄せられるということです。自分で歩んでいく力を「楽しさとお得感」からチャージし、みなさんの明日への一歩をふみ出す力となればと思っています。私たちは、避難者の方々の充電器のような存在かもしれません。ロボットが電池切れになったら勝手に充電器に吸い寄せられるようなイメージで、避難者の方々がしんどくなった時に当団体で充電し、元気をもらって前へ進んでいけるような存在になりたいと思っています。

今年度もあとわずか、自分たちが充電器になるためにもいつもフル充電で元気にありたいものです。

『おせっぺとみおか』の活動 ~1年の振り返りにかえて~

こんにちは。地域調整員、関東甲信地域担当の金子です。今回は、とみおか子ども未来ネットワークの活動の一つである『おせっぺとみおか』を通して、この1年を振り返ってみたいと思います。

『おせっぺとみおか』は、福島県富岡町で暮らしてきた一人ひとりの人生を書き起こすことで、富岡町の姿を記録していくプロジェクトです。富岡町で生まれ育った現在高校生から大学生の「聞き手」が「聞き書き」という手法を使って、富岡町でずっと暮らしてきた年長者である「話し手」に話を聞き、相手の言葉だけで文章をまとめ、ひとつの作品に仕上げていきます。

作品を作る過程で「聞き手」は、約2回、合計4時間以上のインタビューを行い、そのすべてを書き起こします。文字数は約3万〜6万文字。それをひとつの文章にまとめていくのは難しく、根気のいる作業です。相手が何を伝えたいのか、何を大切にしてきたのかを繰り返し考えながら進めていくため時間もかかります。しかし、ふとした瞬間、「この話し手は、こんな想いで、こんなことが言いたいのかな」と気づきます。時間をかけて取り組んできたことで、「聞き手」は「話し手」と同化するような感覚になるのだと思います。

この姿を見て、支援活動でよく言われる「寄り添う」とはどういうことかを、改めて考えさせられました。今年度、地域調整員として各地で行われた活動に参加し、この担当ブログでも、避難されている方たちに寄り添おうと活動する団体を中心に紹介してきました。避難が長期化し、個人個人の課題に取り組む必要があるいま、しっかりと時間をかけて避難されている方々に伴走する、寄り添い型の活動からしか見えてこないことが多いのではないかと感じます。

震災から6年、区域外避難者への住宅供与の終了や避難指示区域の一部解除等、避難されている方々を取りまく環境は大きな変化の時期にあります。いま、復興を考えていく中で大切なことは、避難されている方自身がこれからの選択を自分の考えで、自分で決めていくことができる環境があることだと思います。そのためにはただ単純に復興の加速をあおるのではなく、被災された方を想い、考え、寄り添う社会がなければならないと感じた1年でありました。

みちのく会 解散

「みちのく会は、今年度(2017年3月31日)をもって、解散させていただく運びとなりました。」

2016年12月5日、みちのく会HPに解散のお知らせを掲載致しました。突然のお知らせに、驚かれた方もいらっしゃると思います。連絡が行き届かず、大変申し訳ございませんでした。

「みちのく会の機能縮小化」この言葉が、今年度はじめに掲げたキーワードでした。ですが、そこにいたる経緯は2年ほど前から会員アンケートによる意志確認、また現状の理解を頂きつつ、関連団体には運営の現状等を相談しながら少しずつ調整しておりましたが、会内でもギリギリまで考え、12月3日の総会を持って会として最終的に決断した発表だと、ご理解頂ければ幸いです。

解散を目前にしてこのように文章を書いていると、たくさんの方に支えられた経緯がよみがえります。震災混乱の中、縁あって北海道の地で集まり、命がある喜びをわかちあうための場所づくりでした。個人がグループとなり、グループが団体となり、団体が組織となりました。

震災による北海道の被災・避難者自助団体「みちのく会」。全国でも最大規模の当事者団体「みちのく会」。5つの支部を持つ最大約1800名の会員を持つ団体「みちのく会」。新聞、メディアで紹介される会の肩書は多くありましたが、つど寄り添って報道して頂けました。これは当事者の会にとって、本当にありがたい事だと思います。

そのような巨大な組織ですが、蓋をあければ、震災前はごく普通のまちで生活を営む個人でした。個人といっても、完全に素人の集まりです。もともと専門的知識などなにもない素人の集まりです。支援を行うような運営なんて右も左もわからない、ただ震災を経験してきた素人です。ただ少しだけ違うのは、それぞれ何もなくとも「体験とおもい」だけは持った素人です。会費をとらずに、どうにかこうにか活動を続けられたのは、たくさんの方々の支援、配慮、応援があっての賜物だと、胸につまる思いがあります。

当時1歳だった子どもたちは小学校に上がりはじめ、高校生の子は大人になり、状況は変化してきました。心の時間軸は止まったままでも、環境は変化しつづけます。今後新しい生き方をつくって行く中で、団体の姿はなくとも、各々が繋がりを大切に思っているからこそ、広い北海道でも横のつながりを無くさず、新しい展開へ挑戦できるのだと思います。そのステップとして、この度の解散に踏み切った大きな理由となります。

「終わりではなく、新しい挑戦への一歩を踏み出したのだ」と、今後も寄り添いの中、北海道を応援して頂ければ幸いです。みちのく会へ沢山頂いたご厚情、感謝致します。誠にありがとうございました。

みちのく会HP

高校生座談会に参加してきました

この1年間、地域調整員として当事者の方が中心で開催している交流会や避難元の地域別、同じ趣味を持つ仲間同士、専門家に相談できるものなど、様々な集まりに参加させていただきました。そんな中、東日本大震災によって東海地方に避難してきたり、被災経験があったりする高校生による座談会が2月にありました。

呼びかけ人は2年前に宮城県から親御さんの転勤によってこの地方に来た高校1年生の女の子。仙台で暮らしていた時は、みんなの日常にあった震災が、引っ越し先では何もなかったかのような日々。そういった現状に疑問を感じ、「震災を忘れてはいけない。経験した自分だからこそ、伝えられることがあるのではないか」という思いから、「同じように震災を経験した同世代の子と一緒に何かできないかを考えたい」と、開催に至ったそうです。当日は、呼びかけ人含め8人の高校生が集まりました。

「避難することになった時の気持ちは?」という話題では、「お母さんがピリピリしなくなるなら、避難してもいいと思った」、「小さかったし何も分からない中、ガラスバッジ(個人線量計)を付けたり、ちょっと外に出るにも行き先を親に伝えなくてはいけないことが本当に嫌だった。その煩わしさがなくなるならいいと思った」、「当時もいじめ問題をテレビで見た。自分も避難したらいじめられるかもしれないなと思ったけど、それも仕方ないと思った」などの声がありました。今回の参加者で避難によるいじめを受けたという子はいませんでしたが、避難先で辛い経験をしたため話したくないと、参加を辞退した子もいたとのことです。

参加した子たちは、震災当時は小学4年〜6年生。突然起こった震災と原発事故により仲の良かった友だちに別れの挨拶もできず、携帯電話も持っていないため行き先も告げられないままでした。「(友だちとの)奇跡の再会があるかなと思って座談会に参加しました。」と、ある子が発言した時、みんながとても共感していたのが印象的でした。「こっちに来てヤンキー(茶髪の子ども)がいてびっくりしたよね」、「成人式は避難前にいた故郷?それとも友人が沢山できた今の場所?」など、その年代ならではの話題でも盛り上がっていました。避難先での交流会等では、自分たちより小さいお子さんの相手をすることが多く、震災や避難についてじっくり話もしたことがなく、友だちに震災のことを聞かれても「大変だったよ〜」と、軽い感じでしか話さず、こんな風に話をしたことがなかったというお子さんもおり、子どもたちが話せる場の大切さを感じました。また、避難者の方の状況はお一人おひとり異なるため、それぞれが気軽に話せる場があるといいなと改めて思いました。

古川ふれあい農園の取り組み紹介

NPO法人えひめ311です。

当法人では、平成26年度、平成27年度から農林水産省の「農」のある暮らしづくり交付金事業を活用し、「都市農地の多面的機能を活用した農業・福祉・防災等関係者の連携による多機能農園のモデル形成の検討及び試験圃場の開設事業」を実施しました。事業名は、硬いですが、要するに農園を活用したコミュニティづくりです。そのコミュニティには多様な人たちが参加し、農業をきっかけに福祉と防災がつながり合うような事業です。今年度は、補助金事業が終了し、自主運営の体制を整えつつ、地域の方々と一緒にいろいろな取り組みを行っております。この農園は、貸農園もやっていて、えひめ311の正会員ならばだれでも農地を借りることができ、それぞれ好きな野菜や花を育てることができます。農地を借りたいと正会員になってくださった方々もいます。また、良い条件として、隣に乗馬クラブがあるので、馬糞を土に混ぜ込み、肥料としています。取材に行ったこの日も、地域のおじさん2名が農作業をしており、ゆっくりとほのぼのとした時間が流れていました。

さつまいも、玉ねぎ、大根、白菜、ブロッコリーなどなどいろんな野菜が育てられています。この野菜たちは、少しでも自主財源獲得のため、生協病院内で販売させていただいたり、バザーに出店したりしています。多くの利益は上がらないですが、種苗代とお茶代くらいにはなっています。

12月17日(土)には、愛媛大学の学生グループと地域の方々、避難者でさつまいもを収穫し、もみがらの中で備蓄食料として保存します。この寝かしたさつまいもを3月の種まき祭の時に、焼き芋にして、参加者で食べます。最高においしいです。

農園内には、休憩スペースとして手作り感あふれる小屋があったり、えひめ311の掲示板があったりと人が集う場があり、毎日だれかが農作業しているという状態になっているので、ここにくればお茶を飲んだり、おしゃべりをすることもできます。避難者と地域の方が、何気なく、コーヒーを飲みながらおしゃべりしているという野外サロンのような感じにもなっています。よく農園に足を運んでくれる人は男性が多く、男性が外に出かけるきっかけになっているかもしれません。残念ながら写真はないのですが、以前、農園の様子を見に行った時には、宮城県からの避難者の方と地域のおじさんが畑を見ながら笑い合っていました。

避難者だけのつながりも大事だと思いますが、地域の方々とつながることで視野は広がり、元々避難者の方々が持っていた力が湧き出したりするのではないかなと最近強く思います。震災当初、避難者同士のコミュニティや自助グループに助けられたり、支えられたりした避難者はとても多いと思います。私たちも当事者として、同じ境遇の方と会うだけでホッとしたり、福島弁でしゃべったり、気兼ねのいらない場の存在がかけがえのないものとなっていました。

月日が経ち、避難者同士の集まりも小規模になり、今までとは別の形でえひめ311を展開していく必要があるのではないかと考えています。避難者というカテゴリーだけで集っていると、いつまでも地域に馴染めず、避難者と地域住民は別ものみたいな感覚がなくならないのではとも思っています。地域住民の中に避難者もいれば、子どももいて、高齢者もいて、障がいのある方もいて、地域に多様な人がいるのは当然のこと、それぞれの人権を侵さないような社会を目指していくことが、今後のえひめ311の事業の柱になっていくと考えています。

避難者と支援者による 2016 ふれあいフェスティバルに参加して

こんにちは。地域調整員、関東甲信地域担当の金子です。

今回は、東京都内に避難されている方々がつくるサロンや団体と支援者とが協力して開催した、「ふれあいフェスティバル」について書きたいと思います。

東京都内には避難されている方をサポートするネットワークとして広域避難者支援連絡会 in 東京(以下、連絡会)があります。連絡会では、参加団体のもつつながりや、活動の一つである広域避難者支援ミーティング等を通して、都内の避難当事者グループが広域でつながる機会を作ってきました。

今回、紹介する「ふれあいフェスティバル」は避難当事者グループが実行委員会をつくり、連絡会がサポートする形で行う大規模な広域交流会で、今年で2回目の開催となりました。

このイベントの特徴は、実行委員会に参加する避難当事者自身が、「孤立する人をつくらない」「なかなか表に出てこない方や、交流の機会がない方のために少しでも外に出る機会となれば」という想いから、多くの支援団体の協力を得ながら、企画、開催していることです。

震災から6年目となり、生活する基盤を移す方も増えてきている中で、これまで作り上げてきたつながりが途絶えることのないように、そして移った先の地域での新たなつながりをつくるために、今年度の「ふれあいフェスティバル」では、東京都内のみならず、関東各地の支援団体にも声をかけ、より広域からの参加者を募りました。

その結果、今年度は500名(支援者等含む)を超える方が参加し、避難先や避難元の地域を越えた交流が実現、大盛況となりました。当日は、避難された方が支援者と一緒にブースを出店したり、ステージで出し物をするなど、避難者と支援者の区別なく楽しむ場面もあり、参加者それぞれが、思い思いの時間を過ごしていました。

来年3月の自主避難者への住宅供与期間終了や、避難区域の一部解除など、避難されている方々を取り巻く環境は大きく変化していこうとしています。そのような状況だからこそ、多くの人が想いを共有できたり、ゆっくりと集まって話せたり、楽しめたりする機会が大切になってくると改めて感じました。

終わりではなく、次のステップにむけて

こんにちは。北海道で活動する「みちのく会」です。

12月3日、札幌で交流会と総会を行いました。懐かしい会員さんの顔があって、みんなで集まったあの月日が蘇ってきました。考え出したらきりがないくらい沢山の優しさ、温かさ、ご支援、本当にありがとうございました。そんな交流の中で自分自身も、一歩進もうと思えてきました。

さて、この度は、みちのく会の解散のお知らせをさせていただきます。当会は、今年度(2017年3月末日)をもって、解散させていただく運びとなりました。

みちのく会は東日本大震災、福島第一原発事故により北海道へ移り住んだ被災避難者の自助団体として、2011年4月23日に発足し、会員同士の自助、地域市民とのコミュニティの発生、それぞれが願う自立を目指し、様々な取り組みを行ってまいりました。そして発足してから丸6年を前に、その役割を終えようとしています。みちのく会は、“人と”人との繋がりを第一優先として活動してきました。みちのく会は会員数も多く、たくさんの考え方がある中で、分断を避ける為、政治的な活動などは一切行ってきませんでした。そしてその、“人と”人との繋がりにおいて、みちのく会の必要性、役割が無くなることが私たちのゴールでした。

ご支援いただきました皆様へ

皆様の数々のあたたかいご支援に、心から感謝と御礼を申し上げます。皆様もご承知のとおり、みちのく会会員は、東日本大震災、福島第一原発事故により、北海道へ避難、移住せざるを得ませんでした。しかし、右も左も分からない状況の私たちへあたたかい手を差し伸べていただき、涙が流れるほどの感謝の気持ちを、私たちは一生忘れることはありません。北海道の皆様のあたたかさに触れ、どうにかこうにか本日までやってこられました。今後は我々ひとりひとりがまた新たな一歩を踏み出し、本当の自立へ向け歩んでいきます。温かく見守っていただければと存じます。

みちのく会会員の皆様へ

基本的なみちのく会事務機能(事務所、電話、対応スタッフ)は、2017年3月末までになります。来年度(2017年4月〜2018年3月)は、最低限のメール対応、WEBサイト管理、メーリングリスト管理のみ行い、その次の年度では完全に解散とさせていただきます。

2016年12月3日
役員一同

311県外避難者について考えよう in しずおか

静岡県には現在、約800人の県外避難者の方々がいらっしゃいます。静岡県にいる避難者さんおよび支援団体の状況を知り、今後必要な支援について意見交換をする「311県外避難者について考えようinしずおか」が10月2日に静岡市内で開催されました。

第1部のテーマは「県外避難者の現状や支援について知ろう」です。

まずは、福島県田村市から母子で浜松市に自主避難された方から震災時の避難所生活や避難に至る経緯、現在の状況などをお話しいただきました。家族内での意見が異なる中、「子どもの笑顔が見たい」という想いで母子避難を決意したOさん。福島にいる友人知人との間にできた溝、知り合いがいない土地でのお子さん2人を抱えた母子避難生活の厳しさなどを伝えていただきました。そして、現在は住宅無償支援を受け雇用促進住宅住まいですが、無償支援は今年度末に終了、そして家賃発生後の継続入居を希望されたとしても、雇用促進住宅そのものが平成33年度までの廃止が決まっているため、今後の住まいについてはとても不安定です。Oさんからは「日ごろ明るく振る舞っていて元気なようにみえるが、それは作っている明るさであり、見えないところで様々な事情を抱えている。」という言葉もあり、参加者一同が改めて課題の複雑さを感じることとなりました。

続いて、静岡県内で避難者支援をしている団体(支援団体、NPO、社協、専門家団体など)の方々活動紹介。福島県からの避難者対象にアンケート調査や、個別訪問などでの相談対応、交流会、保養活動など、各団体がそれぞれの地域で実施している活動について、そして関わる避難者の方の現状について共有いただきました。

静岡県では、県社協が各地域で避難者交流会をする団体をサポートするための「ふれあい基金」助成金を実施されています。静岡県内の支援団体にとって、非常に使い勝手がよく、助成金を受けている団体からも「助成金を継続して欲しい」との声がでていました。震災から5年半以上経過し、団体の活動資金確保については、東海地域の他団体からも課題としてよく聞かれます。そんな中、静岡県社協の取組みはとても貴重なものであり、継続が期待されています。

第2部のテーマは「できることを考えよう」です。

2グループに分かれて「県外避難者の孤立を防ぐ」をテーマにワークショップを実施。参加者からは「震災記憶の風化が心配」「支援には民間団体と行政の連携が不可欠」といった意見がでていました。限られた時間の中でしたが、支援団体同士や団体と当事者が新たに出会い、それぞれの想いを共有し、繋がりを広げつつ今後の支援について考える機会になったのではと思います。

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